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GoogleのCMで話題! 歌川国芳(うたがわくによし)って? 江戸時代にスカイツリーを描いた!?


▼GoogleのCMで話題

浅草の人力車の俥夫さん(引き手)がお客さんにガイドをするシーン。
歌川国芳という人物が200年前に隅田川の浮世絵を描いていてそこにスカイツリーが描かれている、見たくないですか? と。

▼歌川国芳とは?

寛政9年11月15日(1798年1月1日)、2016年現在より200年前に武蔵国江戸(現在でいう日本橋)に生まれた浮世絵師。

左の錦絵は文政初年(1818年)、当時20歳で描かれて人気を博した『平知盛亡霊図』の右端のものだ。

風景版画で国際的に有名な歌川広重とは同年の生まれであり、同時代に活動した。

誰もが知っている『東海道五十三次』の風景版画で有名な歌川広重も同年に江戸で生まれた。

幼い頃から絵を貪欲に学んで模写を繰り返し、12歳の時に描いた「鍾馗提剣図」が歌川豊国の目に止まり、15歳の時に歌川派へと入門する。

ちなみに歌川広重も豊国の元に入門したかったが門下生が定員となり断られる。その後、歌川豊広の門に入った。

▼例のスカイツリーを描いたと言われる浮世絵とは?

天保初期(1831~1833年頃)に国芳が30代半ばに描いたと言われる『東都三ツ股の図』という錦絵である。

隅田川に小名木川と箱崎川が流れ込むあたり新大橋の下流の「三股(みつまた)」と呼ばれる中洲で船底を焼く作業を手前に大きく描き 立ち上る煙の表現が西洋画の影響を表して個性的な浮世絵となっています

▼拡大して見てみよう

周りの家と比べてもかなり背が高い建物(?)が描かれているのがわかります。

そっくり……。
ちなみに着工が2008年7月14日で完成したのが2012年2月29日だ。

隅田川の三ツ股は現在は埋め立てられて同じ場所を撮影することは不可能

残念ながら国芳の絵と同じような構図で写真を撮ることはできなくなっている。

▼実際のところはどうなの?

この絵の左側に書かれたスカイツリーらしきタワーは現在の位置関係と照らしあわせても4キロほどしかズレていないんだとか。

CM中でもほとんど同じ位置に建てられていることが語られています。

歌川国芳には予知能力があったのではとさえささやかれています。

オカルト番組でも語られることがありますね。

▼実際は井戸掘りの櫓?

井戸を掘るにはこういった高い櫓の建設が必要となります。
スカイツリーのあたりに井戸を掘ろうとすると海水が混じるため違うという説もあるようです。
しかし、そのためかなり深く掘るためにスカイツリー並の超高層の櫓が必要だったという見方があるようです。

東京スカイツリーは空に向かって大きく伸びる木をイメージしているようです。
昔の櫓も木を組み合わせて建てられていました。
真相はいかに?

▼スカイツリーだけじゃない! 国芳はスマホも描いていた!?

カバー付きのスマホ!
その形と薄さがそっくり。
右上に描かれた男性とLINEでもやっているんでしょうか。

左上の吹き出しを見るに明日の天気予報を調べているんでしょうか。

▼国芳は自分の死をも予言していた?

1833年に描かれたと言われる『東都御厩川岸之図』という錦絵です。
男性が持つ番傘には漢数字で1861番との文字が。

国芳が亡くなったのは文久元年3月5日で、西暦にすると1861年4月14日。
スマホに関しては手鏡や包丁なんでしょうけど、絵師としての腕やこういったことからオカルトながら説得力を持たせる結果となっています。

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